これを書く今も、
正直なところ、私はまだ思っています。
「うちは大丈夫なほうだよな」って。
親は元気だし、会えば普通に会話もできる。
ニュースで見るような「大変な話」とは、まだ少し距離がある気がする。
たぶん、多くの人と同じです。
違和感は、いきなり来たわけじゃなかった
仕事柄、
私はこれまで数え切れないほどの「お金の相談」を見てきました。
でも不思議なことに、私はどこか他人事でした。
「大変だな」
「もっと早く準備しておけばいいのに」
そんなふうに、
心のどこかで線を引いていたんだと思います。
ところが、
自分の親のことを考え始めた途端、
今までプロとして扱ってきた言葉たちが、急に重たくなりました。
困るのは、「何かが起きた日」じゃない
ある日、ふと浮かんだんです。
もし今日、
親の代わりに私が何かをしなきゃいけなくなったら・・・。
- 銀行に行って、用件を伝えようとしたとき
- 電話で「ご本人様確認をお願いします」と言われたとき
- 病院や役所で、書類の話になったとき
その場面を思い浮かべてみたら、
胸の奥が少しザワっとしました。
あれ、私、ちゃんと動けるかな。
病気の名前がどうとか、
診断がどうとかじゃなくて、
「ただそれだけのこと」が、
自分にはまだ何もできていないことに気づきました。
「元気」と「困った」のあいだ
よく考えると、
世の中はそんなにきれいに分かれていません。
- 今日は元気だけど、外出はちょっと大変
- 話はできるけど、細かい説明は疲れる
- 判断はできるけど、手続きまではしんどい
そんな状態は、
誰にでも、わりと自然にやってきます。
でもそのとき、
家族のほうは意外と準備ができていない。
私自身、そうでした。
「まだ大丈夫」は、たぶん本当
ここで無理に話を重くしたいわけではありません。
「まだ大丈夫」
それは、たぶん本当です。
ただ、その「大丈夫」が
どこまでを指しているのか。
親が元気、なのか。 いざという時に、私が代わりに動ける、なのか。
その違いを、
今まであまり考えてこなかっただけなんだと思います。
ほんの少し、視点をずらすだけで
今すぐ何かを決める必要も、正解を出す必要もありません。
ただ、一つだけ具体的にイメージしてみました。
「もし今日、親の代わりに銀行へ行ったら、私は窓口でなんて説明するだろう?」
そう考えた瞬間、
今まで他人事だった「高齢者の手続き」という話が、
急に自分の明日の予定のように生々しく感じられたんです。
難しい制度の話ではありません。
「私が、代わりに動ける状態になっているか」。
それを意識するだけで、見え方が少し変わりました。
次は、
この「立ち止まりそうな場面」に対して、
どんな道具があるのか。
難しい制度の名前を覚えるのではなく、
慌てなくて済むための準備の話を、
静かに並べてみようと思います。
干し柿みたいに、
急がなくていい。
今日は、
吊るす場所が見えた、
それくらいで十分です。
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