先日、一人暮らしをしている80代の叔母が、
家の階段で転んで骨折して入院しました。
その知らせが入った瞬間から、私のスマホは一気に慌ただしくなりました。
実家の両親から次々に届くLINE。
断続的に入る電話。
- 「誰が保証人になるのか」
- 「入院の手続きに必要な書類は、叔母の家のどこにあるのか」
- 「退院した後の生活はどうするのか」
私は離れた場所に住んでいます。
現場の対応の多くは、実家近くにいる両親に任せるしかありません。
だから細かい手続きのすべてを、隣で把握できているわけではありません。
ただ、画面越し、電話越しに伝わってくる両親の混乱ぶりを見て、
一つはっきり感じたことがあります。
「入院しただけで、こんなにも周りはバタつくのか……」
という、言葉にならない違和感でした。
「親が対応しているから大丈夫」と思っていた
私は金融の仕事をしています。
普段から「高齢期のお金」や「万が一の備え」に触れる立場です。
それでも、どこかでこう思っていました。
- 「親がしっかりしているから大丈夫」
- 「今はまだ元気だから先の話」
- 「何かあっても、家族でなんとかなるだろう」
今回の入院も、最初はその延長でした。
実務的なことは親が動いている。
私は状況を聞き、必要ならサポートする側。
ところが、時間が経つにつれて気づきました。
「大丈夫」と思っていたのは、
単に“まだ決定的なことが起きていない”だけだったのではないか、と。
手続きそのものより「空気」が重かった
印象に残っているのは、
書類の難しさや制度の複雑さではありません。
- 連絡が次々に飛び交う
- 誰が最終判断をするのか曖昧
- 「とりあえず今はこうしよう」というその場しのぎが積み重なる
- 先の話になると、みんな言葉を濁す
この何とも言えない「不安定さ」です。
お金の話、今後の生活の話になると、
空気が一段重くなる。
誰も間違ったことは言っていない。
誰も悪気はない。
でも、軸がない。
金融マンとして、
私はそこに強い違和感を覚えました。
「もし、もう少し状況が違っていたら」
叔母の入院中、ふと考えてしまったことがあります。
もしこのまま、意思疎通ができなくなったら?
もし判断が必要な場面が、急にやってきたら?
その時、誰がどこまで決められるのだろう。
今回は、幸いにもそうなリませんでした。
だから大事には至っていません。
でも、何も起きなかったからこそ見えた不安がありました。
- 「判断する人」が決まっていない
- お金や契約の話は、誰も全体を把握していない
- 「その時が来たら考える」状態のままで放置されている
これは特別な家庭の話ではありません。
むしろ、ごく普通の家族にこそ当てはまる話だと思います。
金融の知識があっても、感情は別だった
正直に言います。
頭ではわかっていました。
制度も、リスクも、事例も。
それでも、
家族の立場になると、判断は一気に鈍ります。
- 親に踏み込みすぎるのは気が引ける
- 元気なうちに備える話は切り出しづらい
- 「縁起でもない」と言われそうで黙る
今回の入院で、
私は「知識があっても、行動できるとは限らない」
という現実を突きつけられました。
この違和感は、きっと多くの人が感じている
この記事を書いている今も、
はっきりした結論があるわけではありません。
ただ一つ言えるのは、
「親が対応しているから大丈夫」と思っている間は、何も整理されていない可能性が高い
ということです。
次回の記事では、
今回の叔母の件を通じて私自身が改めて突きつけられた、
「親にアドバイスをすることの難しさ」について書こうと思います。
プロとして解決策はわかっていても、
家族という立場になると正論だけでは動けない。
そんな葛藤と、それでも向き合わなければならない「あるリスク」についてお話しします。
これは誰かを不安にさせるための記事ではなく、
家族の未来を守る「気づくための入口」として書きました。
もし私と同じような違和感を覚えた方がいたら、
それだけで、この記事を書いた意味があると思っています。
【シリーズ:家族の備えを考える】


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