良かれと思って国債を買う父に、金融マンの私が何も言えなかった理由

親とお金の話

先日、父からこんなLINEが届きました。
「5年物の国債、利回りがいいらしいから、ちょっと多めにやってみようと思う」

父は60代。
長年真面目に働いてきて、実家のローンは返済済み。
ある程度の資産も持っています。
いわゆる「堅実」なタイプです。

私は10年以上金融関係の仕事をしています。
金利、インフレ、リスク分散。
頭の中には、いくつもの考えが浮かびました。

正直に言えば、
「今のインフレ率を考えると、実質的にはプラスとは言えない」
「国債に寄せすぎるのはどうなんだろう」
そんな違和感もありました。

でも、私はそのLINEに対して、具体的なアドバイスを返すことができませんでした。

正論は浮かぶのに、言葉が出てこなかった

金融マンとしてなら、説明できます。
数字も、理屈も、制度も。

それでも、「父」という存在を前にすると、話は別でした。

  • 今さら子どもにお金のことで口出しされたくないかもしれない
  • 長年、自分なりに考えてやってきた自負があるはず
  • 否定されたと感じさせてしまったら、関係がぎくしゃくするかもしれない

そんなことが頭をよぎり、私は結局、当たり障りのない返事しかできませんでした。
「そうなんだね」
「父さんがちゃんと考えてるならいいと思うよ」
送信ボタンを押したあと、何とも言えない後味の悪さが残りました。

金融マンとしては、少し逃げた返事。
でも、息子としては、それ以上踏み込む勇気が持てなかったのです。
たぶん、多くの子世代が、同じ場所で立ち止まっているのだと思います。

問題は「投資の正解」じゃなかった

あとから振り返って気づいたのは、この話の本質は、国債が良いか悪いかではない、ということです。

誤解してほしくないのですが、父が国債を選んだこと自体を否定したいわけではありません。
むしろ、今の父の年齢や性格を考えれば、手堅い選択の一つだとも言えます。

問題だったのは、

  • 父がどんな前提(将来への不安や希望)で判断しているのか
  • どこまでの資産を、どう守りたいと思っているのか
  • もし父が判断できなくなったとき、誰がその資産を管理するのか

という「家族としての全体像」でした。

投資のテクニックを語る前に、本来はこの「根っこ」の部分を共有できていなければならなかった。
けれど、今の私たち親子には、そのための共通言語も、きっかけもありません。

「心配」と「口出し」の間にある、越えられない壁

子世代としての立場は、とても難しいです。

  • 心配だからこそ言いたい
  • でも、踏み込みすぎるのは失礼な気がする
  • 「まだ元気なんだから」と流されてしまう

結果、何も起きていないうちは、何も決まらないまま時間だけが過ぎる。
これは私の家庭だけではなく、日本中の多くの家族が抱えている停滞感ではないでしょうか。

金融の知識があっても、家族の話は別だった

私は金融のプロです。
それでも、家族が相手になると、
知識だけでは動けない現実があります。

正論をぶつければいいわけではない。
でも、何も言わないままでも良いわけではない。
その中間で、多くの人が立ち尽くしている。

今回の父のLINEは、私にそのことを突きつけました。

次に考えるべきは「お金」より先の話

国債の是非よりも、もっと根本的に考えるべきことがある。
それは、「もしものとき、誰が何を判断できるのか」ということです。

次回の記事では、私自身がずっと感じてきた
「親の資産状況がわからないことの怖さ」
について、整理して書こうと思います。

金額がいくらあるか、という問題ではありません。
「管理の空白」が生む不安の正体について、お話しします。


【シリーズ:家族の備えを考える】

前回:親族が入院しただけで、こんなにバタつくとは思わなかった

次回:親の資産状況がわからないのが一番怖い──子世代が感じる“正体不明の不安”の正体

コメント

タイトルとURLをコピーしました